病気になったら、お医者さんへ行く。
これは今の常識です。
お医者さんに行けば、たいていは症状を抑えるお薬をもらいます。
風邪をひいたときには、熱が出たり、咳が出たり、頭が痛くなったりしますので、
解熱剤、咳止め、頭痛薬が処方されます。
そして、それらのお薬を飲むと、
熱が下がったり、咳が止まったり、頭痛がおさまったりするので、
薬は効果を発揮して、いいことのように思います。
しかし、ほんとうにそれで良いのでしょうか?
風邪をひいている状態は体力が落ちていますし、
疲れが溜まっているので、
ゆっくりと休む事が一番必要な事です。
症状はそのサインとも考えられます。
あとは、体の中から、不要なものを出す働きでもあります。
でも、薬が効いて熱が下がると、
身体を休める事なく
いつものように仕事をしてしまう方も少なくないのでは?
体に入ったウィルスや細菌は、
体自体が熱を出すことでそのウィルスをやっつけることができます。
そんなふうに
不要なものをやっつけたり、
身体の中から不要なものを出そうとする
体の浄化作用を止めてしまうこともあるので
風邪を長引かしたり、
症状が慢性化して別の病気になっていったりします。
症状が精神的なところから来ている場合は、
薬も効かなかったりします。
病は身体からのメッセージ、
一つの表現です。
「症状がでているところ」
は、そこからうったえているんです。
気にかけてほしい
という、身体からのメッセージを
もっと大切に受けとめていくことで
科学的な薬に頼らなくても改善していけたりします。
身体からのメッセージを
アートに置き換える事で
症状が緩和されたりすることもあります。
症状はひとつの表現であり、
言葉では語られない、深い思いの表現だったり、
他者へのアピールだったりします。
こどもがお母さんにそばにいてほしいから
熱を出すように・・・。
それら様々な、不都合を起こしている状況に対して、
ただ抑えるのでなく、向かい合うことで、
本当の傷の痛みに気づくことができます。
アート表現というお薬は
その傷や痛みに対する
適切な処置の仕方を教えてくれます。
時には原因がはっきりしないことでも
何らかの変化を起こしてくれます。
意識ではわかっていなきても、
無意識はいつも、
適切な処方をよくわかっているからです。
アートを媒介にして(お薬にようにアートを使い)
傷や、痛みや不調を取り扱っていくことで
起こってくることが、変化していきます。
薬としての「アート」の可能性は無限大なのです。
*もちろん科学的なお薬が必要な病気もあります。
時にはお薬に頼ることで、良い方向へ早く向かうことができます。
すべてのお薬を否定しているということではありません。
表現アーツセラピーの創始者の一人、パオロ・クニル氏のポエムです。
<The essence of the arts in healing>
What is it, then, that an Expressive Therapist is doing
if he doesn't prescribe medication,
doesn't anesthetize,
doesn't give injections,
doesn't disinfect,
doesn't cut, doesn't sew, doesn't bandage?
His "medication" is the art material,
his anesthetic is the breathing out and into the belly,
his injections are the laying on of hands,
his disinfecting are the sense-ualities
of getting in touch with what is touched,
his cutting is allowing the pain to be expressed,
his sewing is to serve the emerging,
his bandages are the ritual, the song, the music,
the dance, the storytelling, the enactment,
the image-ing.
Yes,
the tools might be different,
yet it is always the wound itself which healing
<芸術の本質と癒し>
では、表現療法士は何をしているのだろう?
薬を処方するわけでもなく、
麻酔をかけるわけでもなく、
注射を打つわけでもなく、
消毒するわけでもなく、
切開するわけでも、縫合するわけでも、
包帯を巻くわけでもないのに。
彼の「薬」は、アートの素材であり、
彼の「麻酔」は、お腹へと吐く呼吸であり、
彼の「注射」は、手をそっと置くこと、
彼の「消毒」は、触れたものに触れるという感覚的な営み、
彼の「切開」は、痛みを表現することを許すこと、
彼の「縫合」は、芽生えてくるものに仕えること、
彼の「包帯」は、儀式であり、歌であり、音楽であり、
踊りであり、物語を語ることであり、
イメージを紡ぐことだ。
そう、
使う道具は違っていても、
癒す対象はいつも「傷」そのものなのだ。